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金運 なぜお金を洗うのか?

もちろん、ここに書いていることは私の失敗した体験談と経験値、体感である。

お金への執着が強い自分がいることも分かっている。けっして裕福な家庭ではなかったし、父の収入が安定していないこともあり、ため息をつく母を思い出す。お金に対してネガティヴな印象を持たざるを得なかった。だからこそ、固定観念や発想の転換は難しい。

ひとつだけ明確に言えるのは、以下にまとめたような考え方をしたときは私の金運が良くなることがあるということである。「そんなの嘘だぁ」という思い、つまり無意識の中で目に見えないメンタルブロックを勝手に作り出して、否定的にとらえてしまうようなことが、とても少なくなった。ある意味、思考と現実面の繋がりの法則性に少し気付けたということである。

もちろんコントロールできるところの手前までは遠い。

ポイントは、神社のとらえ方のところで述べた「参拝」のところにある。

「神社は感謝するところ。強く願わない。」ということだ。

そこで様々な考察をオリジナル版として図表化してみた次第だ。

(C)MDF宇宙館オリジナル模式図
気付き
​実は自分はすでに
満たされている
同じような
幸せの波動
同じような波動の嬉しく楽しい
出来事に気付く
回転財としてのお金
周囲の人を幸せにする動き
前向きに実現したい

​なにか嬉しい

倖せな気分

禊ぐ(銭洗い)

お金が欲しい、何とかしてくれ、足りない足りない
足りない困った 大変だ
強い願い
不安不満強欲
どうせダメ
すぐに叶わない
自分だけ儲けたい
さらにお金が必要

①神社の神様は人々に、幸せになってほしいという愛の波動を持って温かく迎えてくれる。

②「思えば成る。」はある。願いをかけたときの感情の波動がポイントである。その感情の波動がどういうものかが大切である。

③この世の中の森羅万象は、特定の波動を出しており、同じ波動のものが共鳴していく。つまり「類は友を呼ぶ。」ことは誰でも体感できる事象である。

④ところが、あれが欲しいと強く願うことは、今不足している、不満足であるという不足感の感情の裏返しである。つまり、そのマイナス感情と同じ波動のものを引き寄せてしまう。マイナス感情を強く意識していては潜在的にマイナスなままである。

まず、今がとても満たされていることに気付くことである。100万円はないけれど、健康で無事に参拝できた。ランチが食べられる。交通費もある。などまず身の回りの小さな気付きから体感することが大切である。

⑥そしてポイントは願うのではなく、これから、どのように努力して生きていくかの宣誓である。この宣誓内容が、周囲の人の利他の幸せにもつながるような心持は、みんなを幸せにするという神様の波動にふさわしい。

⑦幸せである、満たされているという「うきうきとした感情」で宣誓すると、幸せな波動を引き寄せる。つまり「類は友を呼ぶ」。

⑧ところが、お金が欲しい、とにかくたくさんほしいという欲望は、極めて利己的でしかも額も目的も曖昧で不明確な、不満不足の心を前提としたマイナスの波動である。だから、その人にとってのマイナスと思われる波動の出来事や事象を引き寄せてしまう。つまり、「ずっとお金がない」ことを具現化してくれる。「泣きっ面に蜂」の状態になる。

⑨そのうち、願っても叶わないよね、どうせだめだというメンタルブロックを心の中で自分勝手に作り出し、それでもなおかつ金運が良いという神社があると聞けば、さらに願をかけ続けてしまう。この悪循環を生んだのは私自身のことである。

⑩銭洗いの極意は、⑤である。つまり、お金に対する執着を禊いで、どれだけ自分は恵まれているのかということ、小さな幸せから気付くことである。洗うことでお金が清められるということは、執着が禊がれて本来の意味を引き出すことになる。

禊いだそのお金は、嬉しく楽しく使わせていただく。これがお金の根本的な性格。つまり回転財。証券の街の小網神社。老舗商店の街・日本橋の芽吹稲荷(福徳神社)。「お金は天下のまわりもの」なのである。

⑫さらに、手元に早く戻ってきてほしいと、自分で「期限」を決めてはいけない。すべてを信じて天に任せるところまで執着を捨てるということ。もしかしたら、10年後に叶えてくれているかもしれない。その参拝者にとって、とても相応しいタイミングで叶えてくれているかもしれない。しかし例えば、それが20年前に参拝したご利益だと感じる人はほとんどいない。人生の中での帳尻、陰陽のバランスはあると心得てほしい。

とてもこういう思考経路は難しい。なかなかできない。だから叶わない。そして、焦りまくってまたしても、何とかと強く願い続けてしまう。

実は、近年の小網神社は15年前とは全く違う。平日でも20-30人が列を作っている。ある意味、お金が欲しい、自分だけ金運が良くなってほしいという、マイナス感情の念が固まって渦巻いているように感じてならない。実は、一番金運が良くなっているのは、小網神社そのもので、社務所がどんどん大きく綺麗になって、頒布するお守りであふれている。一生懸命に延々と祈っている参拝者は気づいているのだろうか。参拝者が、気軽な気持ちで利己的なお願いだけして、参拝後に出し惜しみしているとすれば、叶うまでかなりの時間がかかるよということである。

回転財の意味を体感して、感謝の言葉を述べに参拝すべきだと感じている。

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